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カテゴリ:英国( 5 )



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ナマのブリティッシュ・イングリッシュに戸惑う


英国のコメディTV番組「Little Britain」を
ご覧になられたことがあるでしょうか?
下品でくっだらないのに、よくここまで
面白く仕上げた!という、好き嫌いがはっきり
わかれそうな番組なんですが、私は一時これに
はまりまくっていました。

しかしこの番組の主演のふたりの英語、
まぁ難しいのなんのって!
サブタイトル無しでは理解不能。
アメリカ人にも難しいというので安心しましたが。

英国好きと吹聴してますが、普段ナマの
ブリティッシュ・イングリッシュを耳にすることは
殆どありません。

しかしカメラのクラスに英国人の女性がひとりいまして、
先日帰りが一緒になり話かけられ、シチュエーション的なことを
考えれば何を言っているのかは、おおよそ推測できたのですが
発音は勿論、言い回しも全く違うため、
(え?本当に私のGUESSが合ってる?)とフリーズ。
仕方がないので、聞こえなかったふりをして
「え?何て言ったの?」と訊き返したところ、またよく判らない発音と
言い回しで質問されたので、(これは多分、カメラのクラスを取った理由を、
普段聞きなれない小難しい言い回しで聞かれているに違いない)と思って、
「ブログの写真を撮りたいの」と答えたら、「あぁ、そうなの」と
納得されていたので、どうやら私のGUESSが当たっていた御様子。

いやはやデジタル通信だの云々よりも、テレパシー通信の時代に
なってくれないものですかね~








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by giocasempre | 2016-01-29 14:34 | 英国

David Bowie


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こういう日が来るとは判ってはいましたが、
David Bowieが亡くなられたことを
今朝起きてすぐ携帯で目にした時には、
また何かのたちの悪い宣伝かニュースの
見出しだろうと思いました。


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この中性的な容貌と奇抜なファッションで
’70年代を風靡し、’80年代に入ってからは
これぞブリティッシュ!的なスタイリッシュ正統派で
それはそれはカッコよくって溜息ものでした。

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ポール・マッカートニーが好きな私ではありますが、
大御所の歌手の中ではDavid Bowieが最もナイス・ルッキング
だったかなぁ。

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Thanks!

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by giocasempre | 2016-01-12 17:12 | 英国

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エリザベス女王の国をあとにして


初の海外旅行でびっくりしたのは、人が地べたに座っていること。
美術館で名画を写生している人がいること。
電車・汽車での社内アナウンスがないこと。
そして英語がサッパリ判らなかったこと。

ブリティッシュ・イングリッシュとかそういう問題ではなく、
学校で習った英語では会話が成り立たないんですよね。
しかもスコットランドのデリでフィッシュ&チップスを
買った時、店の兄ちゃんが「カニュウンドリュ?」と
聞いてきて、これが何度聞いても判らない。
ただでさえ英語が判らないのに、ここではスコットランドの
アクセントのためお手上げ。
最後の最後にようやく"Can you understand?"と言ってることが判明
したのではありますが・・・

そうそう書き忘れてましたが、勿論リヴァプール参りにも行きました。
駅を降りてすぐに「ストロベリー・フィールド・ツアー」だかという
ツアーに参加し、バスに乗って名前の通りストロベリー・フィールド、
ジョンやポールの子供の頃の家などを見物に行きました。
この旅行で一番がっかりした街が実はリヴァプール。
港街のせいでしょう、荒々しくって英国らしい情緒に
欠けていたからでしょうね。

期待していなかったのに、実は結構興奮したのが
シェークスピア誕生の街ストラッドフォード・アポン・エイボン。
とても綺麗な中世の面影を残していた所という記憶があります。

あの当時ですからロンドンはコヴェント・ガーデンとかが
楽しかったのかなぁ?

最後の日、空港に行く前に食パンひと袋、ハム、チーズを
買い込んで手荷物に仕舞いこみました。
もうこの時にはさすがに学んでいて、
(どうせ帰りもどこに寄るか分かったもんじゃないんだから、
また食べれない機内食じゃ大変)と思い、機内で作るサンドイッチの
材料の確保をしておいたのです。勿論911以前のことですから、
するするスルーで手荷物検査も終了です。
そして本当に何度かサンドイッチを作る羽目に。

ヒースロー空港を飛び立って数時間後、パキスタン航空機は
着陸体勢に入りました。
(来たぞ、来たぞ、絶対にカラチじゃないんだろうな)という
推測は大正解だったのですが、着陸しても一体どこに着いたのか
判りません。機内アナウンスを聞いても全く判らないのです。
あの時、どうやって自分がどこにいるのか知り得たのか覚えていないの
ですが、な~~~んと今のような開発が進む前のドバイにいたのです!
(ドバイって何?)
ドバイという国があることを知る前に、ドバイを見てしまったのです。
しかもそれがアラビア半島にあるなんて想像すら出来ていませんでした。

そしてカラチへ。
またしても飛行機が8時間くらい遅れるということで、
一旦空港近くのホテルに連れていかれました。
ホテルの庭を歩いていると、木の上に登って
腰かけしながらゆ~っくりと時間を過ごしている方々がいて、
数時間後に見てもまだいらっしゃいました。

今なら絶対にしないんでしょうが、世間知らずで好奇心いっぱい
だったので、ホテルの外に出て少し歩いてみたところ、
ぎゅうぎゅうに人が乗りつめたバスが通り過ぎ、
乗員全員が私に向かって手を振ってよこしたり、
行き交う人もじーっと私を見ています。
今でも定かではないのですが、イスラムの国のこと、
女性のひとり歩きは御法度、服装的もジーンズだったりと、
実は規律に反していたのではないか?という気がしてなりません。
しかしあの青空とからっと晴れあがった乾燥した空気感は
今でも忘れられない光景として脳裏に焼き付いています。

カラチ空港のお手洗いには、「トイレおばさん」がいて、
用を済ますと「終わりました」と告げに行かなくてはなりません。
そうするとおばさんがヒシャクに水を入れて流しに行きます。
これもかなり衝撃的でした。そして更に衝撃的だったのは、
おばさんはそのお手洗いでモノを食べていたことでした。

その後はタイのバンコクに寄り、もう日本だろうと思っていたら
フィリピンのマニラに到着。さすがにもうよそに寄りようがなかったのか、
やっぱり二日がかりで成田に到着しました。

そこからスカイライナーに乗って家に辿り着いたのですが、
実は家のドアを開けた時のお財布の中の所持金は10円ポッキリ。












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by giocasempre | 2015-10-30 15:21 | 英国

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そして英国周遊

ロンドンではパキスタン航空の機内で知り合った
日本人女性おふたりと一緒にEarl's CourtのB&Bに
落ち着きました。そのうちのおひとりのBFの友人である
ロンドンにお住みの英国人男性が空港までいらっしゃっていて、
4人でパブで夕飯。寝不足、空腹、疲労のところに
ビールなんか飲んじゃって、もう死にそ~

翌日から3日間ほどロンドン市内観光。
バッキンガム宮殿とケンジントン宮殿詣出は勿論、
大英博物館に行った帰り、なんだか労働者風のおっさんばかりが
集うレストランに入ってしまい、一緒になってフィッシュ&チップスを
食べていました。

ポール・マッカートニーの事務所”MPL”にも行くと、
そこに丁度入って行ったのは、多分ジョージ・マーティン。
今の私だったら堂々と話しかけるんでしょうが、
当時はまだおぼこかったわけで、茫然としているうちに
建物の中に消えていかれました。
アビーロード・スタジオにも行って、あの信号を渡って、
お近くのポールの自宅まで行ってお参り。

しかしロンドン、夏だってのに寒い。
寒くって寒くって、これからスコットランドに行くのに
これでは身が持たん・・とジャケットを買うことに。
ふと周りを見ると、若者はみ~んな皮ジャンを着てるじゃないですか。
「では、私も」と思って、すっごいハードロック系の
アパレルのお店でガチャガチャ色々ついた皮ジャンを購入。
それはその後、「マイケル・ジャクソンの皮ジャン」と
友人たちから呼ばれました。私が米国に渡る際、母のもとに
置いてきたのですが、真っ先に捨てられました。

ストーンヘンジを見に行って、それからバースへ。
しかし何かフェスティバルをやっていたようで、
全く宿泊先が見つかりません。あのローマ風呂にでも
泊まろうと思ったほど全くありません。
うろうろしているとスウェーデンから旅行に来ていた
お兄さん三名(かなりの北欧イケメン)が一緒に探してくれました。
が、結局どうにもならず、その日の夜、なんとバースの駅に投宿。
駅員のおじさんが見兼ねて待合室に入れてくれたのですが、
いやはやさすがに「この旅、無事に終わるんですかね?」と思ったのは
言うまでもありません。

翌日、朝一の列車でオックスフォードへ。
寒いとは言え、夏のイギリスの朝の輝きと言ったら
日本とは全く違う空気感でキラキラしていました。
オックスフォードのB&Bに着くや否や、ベッドに倒れ込み、
5時間ほど爆睡。

しかしそこからは順調で、湖水地方、エジンバラ、
ネッシー捕獲を目指してインヴァネス、ヨーク、
ケンブリッジを廻ってロンドンで。

不思議なもので行く先々で同年代の日本人の方と知り合って、
旅の半分は誰かしらと同宿していました。
実は後年、最初に一緒に泊まったイギリス人の御友達がいた女性も
米国に渡られ御自身でビジネスをされてたようで、広告でお写真を
拝見することになったのです。
連絡は取りませんでしたが、友人に当時の写真を見せて、
「この女性、同じ人よね?」と言うと、
「同じ、同じ」と言っていました。

約二日がかりで辿り着いた英国に3週間滞在して、
ちょっとお腹いっぱいにもなりはじめた頃、
私はまたしてもヒースロー空港からパキスタン航空に
搭乗したのでした。





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by giocasempre | 2015-10-28 12:54 | 英国

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ロンドンは遠かった

「よしイギリスに行こう!」と思いたった若きある日のこと。
学校にも行かずバイト生活を送って貯めた軍資金で
HISの新宿店にチケット買いに行った日のことが思い出されます。
当時大分安くなっていたとは言え、今の倍くらいしていた航空チケット。
その中で下から2番目にお安かったパキスタン航空のチョイス。
係りの男性に、「行きはイスラマバード、帰りはカラチに寄りますから」と
教えてもらって、「ほー、パキスタンなんて、こんなことでもない限り、
行けないかもしれないからなぁ~」と、得した気分で店を後にした私。

出発当日、成田空港まで送ってくれた姉に別れを告げ、
3時間遅れくらいだったかでパキスタン航空に搭乗。
ちなみに初の海外旅行ひとり旅、まだ大学生の頃の話です。

離陸して4~5時間経った頃、機内にアナウンスが流れたものの、
何を言われてるのかサッパリ判らないでいるうちに、
着陸態勢に入りました。
「え~、イスラマバードってこんなに近いのぉ!!」と驚く私。
着陸するとなんだか様子が違います。おかしいな~と思って
隣の席に座っていたイギリス人のオンナの子に
「Where is here?」と聞いたところ、
「Beijing」というお答えが返ってきました。
(は?ベイジン?!米人?いやいやそれって”北京”だろう)
旅程表にも「Beijing」なんて、どこにも載っていません!
そう私が初めて見た外国の景色は北京空港となったのでした。

その後、万里の長城や天山山脈なんかも眼下に見下ろし、
北京で作られた機内食が出てきて、人生で一番まずかったパンを
食べることとなり(当時のことですからお許しを)、数時間後、
今度はどうやらパキスタンらしい光景が拡がり、イスラマバード空港に到着。

入国審査だって初の経験。「え?異星人のライン?何この”Alien"って!」と
度胆を抜かれ、私はパキスタン国籍の方々のラインに堂々と並んでいました。
空港の係りの女性が、それはそれは驚いて手を引いて
”Alien"のラインに連れていってくれました。
何はともあれ入国出来た私。ちょっと外に出てみましょ!と思って、
空港の外に一歩だけ足を踏み出しました。そこに広がっていたのは、
深い深い紺色の空とまばゆい星と、まったりとなま~とした空気でした。

飛行機が4時間くらい遅れるというので、
待合室でつくね~んと待つことに。
とは言え、その間ひっきりなしに老若男女に話かけられ、
紅茶を御馳走してくれたり(かなり美味しかったです)、
チビッ子にしか支給されないジュースを頂いたり、
あっと言う間に搭乗時間になりました。
「あぁ、いよいよロンドンっ!」と勢いよく席を立って機内へ。

そしてまた機内食。パキスタンで搭載されたごはん、
はっきり申し上げてニオイ、味付け、全部ダメで、
パンを紅茶で流し込みました。

しばら~くすると着陸態勢にまた入りました。
「え?もしかして私、また騙されてる?
ロンドンがこんなに近いわけないよね?」と思っていたら、
やっぱり騙されてました。
トルコのイスタンブールに到着です。
しかし!イスタンブール空港、近代化された建物で
しかも女性が美しい!!
「またいつか来たいな」と思いつつ、今だに実現されていません。

また機内食が出た記憶があるのですが、またしてもパンしか
食べれなかったんじなかったかなぁ~
そして「何故ロンドンがそこにあるのに、ここに寄る!」的に、
アムステルダムへ。でも運河が綺麗でしたね~。
「オランダで作った機内食だったら食べれるかもっ♬」と喜んでいたら、
あっという間にヒースロー空港に着きました。
私、本当に飢餓状態で夢にまで見たイギリスの地を踏んだのでした。

日本を出発したのが7月11日。
イギリスに到着したのは7月13日の夕方。
あの年の7月12日は、一体どこで過ごしていた
ことになるんでしょうね。
ロンドンはかなり遠かったのでした。









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by giocasempre | 2015-10-27 13:25 | 英国